『 ピーターラビットのおはなし』の最古の日本語訳を発見
添付写真:1906 年11 月発行の「日本農業雑誌」(読賣新聞社発行)に掲載された
「悪戯な小兎」のトップページと、実際にビアトリクス・ポターが描いたイラスト
http://www.copyrights.co.jp/cms/site/news/firsttranslation.aspx
~旅行作家の先駆けの松川ニ郎氏が 初版出版の4年後の1906に翻訳~
世界中で愛読されている『 ピーターラビット のおはなしTM 』の最初の日本語訳が、これまでの1918 年の児童雑誌「子供之友」(婦人之友社発行)ではなく、1906 年11 月発行の「日本農業雑誌」(読賣新聞社発行)であることが、河野芳英・大東文化大教授(英米文学)、 ピーターラビット 愛好家の小林和子さん、利部(かがぶ)由理子さんの調査で判明しました。
ピーターラビット の生みの親の作者のビアトリクス・ポターTM (1866 ~1943 年)が手がけたシリーズの第1作『 ピーターラビット のおはなし』は1901 年に英国で私家版として自費出版され、翌年、商業出版されて人気が広がりました。 つまり初版が出版されてから、わずか4 年後に日本で ピーターラビット が紹介されていたことになります。
河野教授、小林さん、利部さんの3 人が国立国会図書館で古い文献を調べたところ、1906 年11 月発行の「日本農業雑誌」に、「悪戯(いたづら)な小兎(こうさぎ)」というタイトルのお伽小説が6 ページにわたって紹介されているのを07 年4 月末に発見しました。元新聞記者で旅行作家の先駆けといわれる松川二郎氏(詳細な経歴は不明)が翻訳したもので、作者のビアトリクス・ポターや出典名は明記されていませんでした。主人公は「ピーター」ではなく「ペター」、「マグレガーさん」は「杢平爺(もくべいぢい)さん」、「フロプシー」は「エロプシー」、「カトンテール」は「コツトンテール」ですが、ストーリーは やんちゃなピーターがマグレガーさんに追い かけられるという有名な内容にそっくりで、ポターの描いた原画に似た挿絵が使われており、「モプシー」も現在の表記「モプシー」と合致しています。
「悪戯な小兎」発表の翌月号となる1906 年12 月発行の「日本農業雑誌」には、田園小説「悪戯な小兎 :後日譚」といった題名で『ベンジャミン・バニーのおはなし™ 』が、掲載されています。ストーリーはデフォルメされていますが、出典はポターの原作によったものと見て間違いないようです。河野教授も「出典・引用は書かれていないが、『 ピーターラビット のおはなし』のストーリーをほぼ正確に伝えています。当時の出版状況を考えると翻訳と言って差し支えないと思います」と話しています。
『 ピーターラビット のおはなし』の英語版からの翻訳で最も早いとされてきたのは1912 年のオランダ語訳で、「日本農業雑誌」の「悪戯な小兎」は英語版からの翻訳は、現在のところ世界で最古になるのではないかと見られています。河野教授は、ポター研究者の国際学術団体「ビアトリクス・ポター協会」(本部・ロンドン)に正式に報告する予定です。
日本農業雑誌「悪戯な小兎」の書き出しは、「むかしむかし、或る所に、エロプシー、モプシー、コツトンテールにペターと呼ぶ四匹の小兎が居ました。・・・」となっていました。因みに石井桃子さんの翻訳では、「あるところに、4ひきの 小さなうさぎがいました。なまえは、フロプシーに モプシーに カトンテールに ピーターといいました。」(『 ピーターラビット のおはなし』福音館書店刊)と表現されています 。
〈ピーターラビット とその作者について〉
世界中の子供たちに愛され続けてきたビアトリクス・ポターTM (1866~1943)の『ピーターラビット のおはなし』は1901年に私家版として、1902年にロンドンにある出版社フレデリック・ウォーン社で商業出版されました。その後も ピーターラビットシリーズとして『ベンジャミン・バニーのおはなし』『グロースターの仕たて屋』など23の物語が生み出されました。2006年4月には埼玉県に「大東文化大学 ビアトリクス・ポター™資料館」がオープン、07年秋にはポターの生涯を描いた映画「ミス・ポター」(レニー・ゼルウィガー主演)が日本でも公開されます。 日本でも自然保護のナショナルトラスト運動への貢献、著作権ビジネスの先駆けなど、 ピーターラビットとともに作者のビアトリクス・ポターにも注目が集まっています。