子どもの喜び常に探求 評伝・石井桃子さん
2日、101歳で亡くなった石井桃子さんは、生涯現役で、子どものための本について考え続けた児童文学者だった。葬儀は故人の遺志で行われず、後日、お別れの会が東京都中野区の東京子ども図書館で開かれる予定だ。
http://www.asahi.com/culture/update/0403/TKY200804030197.html
現役で100歳を迎え、インタビューを受ける石井桃子さん=07年3月、東京都練馬区
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1月末の朝日賞の贈呈式には車いすで出席、「朝日賞をいただいた人間ですといってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています」と石井桃子さんらしいスピーチをして会場をわかせた。
昨春、100歳になった石井さんにインタビューしたとき、脳の発達と子どもの本とのつながりについてさらに深めたいと話していたが、「あの続き、もう考えられなくなったの」。贈呈式の控えの間で休みながら、いかにも残念そうだった。最後の最後まで現役の児童文学者だった。
クマのプーさん、ピーターラビット、うさこちゃん……翻訳、執筆した主な作品だけで200を超える。この半世紀以上、日本の子どもたちは「石井桃子さん」が手がけた本を楽しんできた。海外のすぐれた物語や絵本を紹介することで、日本の児童文学は幅を広げ、豊かになった。
石井さんの文章には、きれのいい響きと快いリズムがあった。わかりやすく美しく、いさぎよくユーモアが漂う。
人柄も生き方も、まったく同じだった。26歳でA・A・ミルンの「クマのプーさん」に出合ったときから、子どもの本とは何か、ひたすら考え続けてきた。先輩作家の坪田譲治らとの論争も辞さず、50年前、自分の家を開放して「かつら文庫」を始めたように、実行力もあった。
原点には幼いころ祖父のひざで聞いた昔話の楽しさ、面白さがあった。心の中に、その幼い自分を呼び返して本に接していた。子どもが成長していくのに、たくさん語りかけることがどんなに大切なことか、といつも話し、大人が押しつけるのではなく、子どもが本当に喜ぶものをつねに探していた。(由里幸子)